前回の続きです。チノというワードが初めてカーキと交差したのは19世紀末頃、1898年に開戦したアメリカとスペインによる米西戦争がきっかけでした。 ©William Dinwiddie この戦争に勝利したアメリカは、それまでスペイン領だったフィリピンやグアムといったアジア諸国を手中に収め、大国の仲間入りを果たしています。 ©The Science and Industry Museum 一方、ラムズデン卿由来のカーキツイルは英国内および直轄領に向けて大量生産され、当時施政下に置いていたインド経由で各国へと流出し、さらにその一部は中国を経て先述した米西戦線にまで及んでいたと言われています。 つまり、英国産インド経由中国由来のカーキツイルをフィリピン戦線で活動するスペイン兵やアメリカ兵が一種のローカルメイドとして愛用したことから、スペイン語で「Chinese」を意味する「Chino(チノ)」と呼ばれるようになった、というのです。20世紀に入るとそんな「Chino(チノ)」をベースにアメリカ陸軍でも制式品の開発が進められ、初代アーミートラウザーとなる通称M-41カーキことM-1941が、その名の通り1941年に制式化されています。 (つづく)